明治6(1868)年3月、安明寺(現 光蓮寺)本堂に「温新社」が設立されたことが始まりです。その後、明治25(1892)年に明治44(1911)年に「半田町立半田第二尋常小学校」と校名が改められ、現在の場所(岩滑高山町5-55)に移設されました。平成23(2011)年は移設100周年となり、記念行事が行われました。平成25(2013)年は、南吉生誕100年の年であり、各種行事に関して子どもたちの誇りと笑顔が輝く機会として積極的に取り組んでいます。
岩滑小学校には、童話作家の新美南吉にかかわるものがあります。
①最後のプラタナス
南吉は、岩滑小学校を卒業しました。そして、半田中学校を卒業した昭和6年4月から8月まで、代用教員として2年生を担任しました。そのとき、南吉は、子どもたちに「ごんぎつね」を話して聞かせました。南吉が代用教員で岩滑小学校に勤めていたころにプラタナスの並木があり、現在は最後のプラタナスの幹が残るだけとなりました。
③「落葉」の石碑
平成9年6月に、南吉の詩「落葉(おちば)」の石碑が設置されました。南吉は、学校にある「うきゅう」(ナンキンハゼ)の木を見て、「落葉」の詩を作ったそうです。
落葉(おちば) 新美南吉
私がうきゅうの下をゆくと
金貨でもくれるかのように
黄(きいな)い葉を二枚
落としてよこす
さて私は
この金貨で
手ぶくろを一そろえ買って
なつかしい童話のきつねに
持っていってあげよう
②体育館の壁画
昭和54年の体育館建設のときに、壁画が作られました。当時の子どもたちが南吉作品を基に元気な大空へ飛び上がるような絵を希望し、子どもと先生の共同作品として完成しました。今も、岩滑の子どもたちを見守ってくれています。